ポーラ美術館の「アンリー・ルソーパリの空の下で ルソーとその仲間たち展」へ行って来た。
でもわたしはなぜかアンリー・ルソーの室内画展だと思い込んでいたの。
新聞の美術館案内で見たポーラ美術館の下に掲載されていた他の美術館の展示内容と間違えたのかしら。
そういえばルソーの室内を描いた絵などあまり見たことがないわね。
わたしはなぜか室内の様子を描いた絵が好きというか妙に惹かれるのよね。
と言う訳で出掛けたのだが、行ってみてがっかり。
ナンダナンダよう。
まあもともとルソーの絵は好きなのでいいかと見ていたのだが、ルソーの絵だって数点だけ。
ルソーの他にピカソ、ルノアール、ドガ、ゴッホ、モジリアニ、マネ、モネ、ゴーギャン、ブラック、コロー、セザンヌ、ルドン、岡鹿之助、岸田劉生、杉山寧、高山辰夫等の作品が数点づつ展示されていた。
なんか常設展の絵画とごっちゃになっちゃったかも。
岡鹿之助を除いて展示作品はあまりパっとしなかったなあ。
わたしの好みとしてはね。
他には化粧道具展というのがあってラリックなどの香水瓶が数多く展示されていた。
ま、そういうことでして、今度からは展示内容をしっかり確認してから行くことにするわ。

しかし、絵でもわたしが集中して鑑賞できるのは1時間が限界ね。
せっかく来たんだからと欲張ってアレもコレもと見ても、目が疲れちゃってもういかん。
わたしは何でも目を凝らして真剣に見るという行為が容易じゃ無くなってきているのね。
年のせいなのか、白内障のせいなのか。
映画も映画館で目を凝らしじーっと見るのはもうダメ。
まあ映画の方は効果音が大き過ぎるのも不快なのだが。
だから家でお茶やコーヒーなどを飲みお煎餅やクッキーを食べながらのんびりビデオやDVDを見るのがイチバンなの。
目が疲れたら休むのも良し、途中で止めて後から見るのも良しで。
まあ、1時間でも集中してみることが出来るのだから感謝しなくちゃね。

行く時の富士山。
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帰りの富士山。
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by rampling | 2010-11-10 17:47 | 美術

可愛い絵だなあと気に入った絵があったのだが、まあいいやと買わないで帰ってきたのだが、その絵が忘れられず今日買いに行ってきた。
3万と赤字で書いた大きな値札が付いていたのだが、もう少し安くならないのと言ったらこれはディスカウントしたお値段ですと言われよく見たら下の方に定価が貼ってあり6万円以上だった。
わたしは淋しくなるような絵は苦手で可愛くて暖かい雰囲気のある絵が好き。
特に室内を描いた絵がたまらなく好きなんだけど、こういう花を描いた絵も好き。
Hは「売れなかったから安くなったんだよ」とイジワルを言うが、絵は相性だからね。
写真だと色も白茶けて写り平面的で立体感が乏しく見えるけど実物はもっと複雑な色合いでタッチが素晴らしいの。
早速部屋に飾り好いなあと満足な気持ちで眺めています。
70×63センチ。
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玄関横の百日紅の木。
パープルは珍しいでしょう。
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上の方にやっと朝顔ちゃんが顔を出しました。
黄色いのはゴーヤです。
まったくHときたらなんでも一緒に植えちゃうんだから。
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by rampling | 2010-08-19 13:03 | 美術

長谷川潾二郎展。

今日は読売新聞に紹介されていた長谷川潾二郎の「猫」に惹かれて平塚美術館で催されている《長谷川潾二郎展》へ行って来た。

パンフレットより。
長谷川潾二郎(1904-1988)は戦前から戦後にかけて長く製作を続け、独自の写実表現を開拓しました。
いわゆる画壇的な世界には属せず、また時々の美術の流行にも超然たる態度をとり、結果として日本の近代美術史上極めて特異な位置を占めています。
平明かつ温厚な写実表現でありながら、非日常的な幻想性を帯びたその作品は、見る者に忘れ難い印象を残します。
何年もかけ、納得いくまで観察しないと描かない寡作、孤高ともいえる製作態度、江戸川乱歩にも賞賛された探偵小説家としての一面、家庭環境(父・叔父 ジャーナリストの先駆け、兄・林不忘『丹下左膳』作者、弟二人は文学者)など画家潾二郎を取り巻くエピソードも多いといえます。
しかし、作品発表の場が少なく、一部の識者に高い評価を受けながらも、その画業の全体像はいまだに明確にされていません。
公立美術館として初めての回顧展となる本展は、初期から晩年までの作品を網羅し、その極めて独創的な絵画世界を検証します。
これにより、近年雑誌、テレビ等で幻の画家として繰り返し取り上げられ、再評価の機運が高まる長谷川潾二郎の全貌をご紹介する展覧会です。

確かにわたしも「猫」の絵が新聞に紹介されていなかったら彼のことは知らないままに終わっていたでしょうね。
その意味でも今回の展覧会が開かれた意味はあるわね。
猫の絵以外にもわたしが好きだなあと思う絵は数々ありました。
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下のカードの猫が亡くなったサクラちゃんにそっくりなの。
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図録。
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お昼はここで。
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駐車場から見た景色がわたし好み。
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黄色い牡丹も咲きました。
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この間買ってきた真紅のペチュニア。
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柿の新芽も綺麗。
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運動公園の裏にたくさんのこいのぼりが。
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by rampling | 2010-05-04 17:04 | 美術

カール・ラーション。

2月18日にテレビ東京の《美の巨人たち》でカール・ラーションが取り上げられていたらしい。
ぜんぜん知らなくて見逃してしまった。
まったく、その時わたしは一体ナニをしていたんだろう。

わたしがカール・ラーションを知ったのは2004年9月26日。
何処かの美術館で偶然に彼のポストカード集を見つけ、すっかり気に入り買い求めた。
裏表紙にはその日の日付が記されている。
それ以来インターネットで検索して、彼の絵をいろいろ探して見ていたのだが。

今日ブログを渡り歩いていて、カール・ラーションの絵がふんだんに掲載されている素敵なHPに辿り着いた。

絵や音楽が豊富で、楽しく過ごせる快適なお部屋。うれしい。

「こどものための美しい庭」
http://pinkchiffon.web.infoseek.co.jp/index.htm

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by rampling | 2006-03-03 14:47 | 美術

石井礼子さんは藤沢市に住む31歳の新進画家で、麻紙の上に墨、木炭、鉛筆などを使ってモノクロームの世界を描いている。

彼女は、自分が生活している空間に徹底的にこだわり、絵は独自の視点と技法で執拗なまでの細密な描写が繰り返されている。

台所。浴室。玄関。2階へ続く階段の回り。食卓の光景。プライベートな部屋の様子。

ありとあらゆるモノがギッシリと奔放に描写されていて感嘆を誘う。

面白いのはそれらのどの絵にも猫が描かれていて、姿形、顔や表情もそれぞれに個性があり、猫好きにはそれらの猫を見るだけでも楽しいと思う。

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by rampling | 2005-11-12 17:22 | 美術

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今回の「メトロポリタン美術館展」は19世紀末から20世紀初頭にかけて、
パリに集ったエコール・ド・パリの画家達の名品72点を公開する
というもの。

私の狙いはバルテュスで、前にNHKの「新日曜美術館」でバルテュス
の特集をやっていて、彼の描く奔放な姿態の謎めいた美少女にすっかり
魅せられてしまったんですね。

バルテュスは光と少女に拘った画家で、彼が少女を描き続けたのは
「過渡期こそ最高の美」だと考えたからだと言うのですが。

今回展示されていた彼の作品は《夏》と《山》と《目をさましたテレーズ》
の3点だけで、ちょっと不満でした。

《山》は舞台装置のような山の連なりを背景に、無表情な数人の人物が
無関係に無秩序に配置されている、不思議な捉えどころの無い絵。

《目をさましたテレーズ》
つい今しがた目を覚ましたかのようなテレーズ。焦点の定まらない視線と
軽く結ばれた唇に幼さがのぞく。

片方の手は椅子の肘掛に上に。もう一方の手は大胆に組まれた足の上に
さり気なく置かれている。挑発するような大人びた大胆なポーズと
あどけなさが残る顔のアンバランスが印象的。

その他、印象に残った作品はというと、何かを凝視している、若くて
精悍な横顔のキリコの《自画像》

窓外の夕焼け空を背景に、暗い室内でひしと抱き合い、溶け合うかの
ような恋人たちの姿態が印象的な、シャガールの《恋人たち》

パリの街や通りを数多く描いてきたユトリロには珍しく、のんびりした
田舎の風景を描いた《サンノアの風車》

白い雲に覆われた空、黒々と真中に聳え立つ風車、後ろには白壁の家
そして風車の前には青々した木々の繁りが広がっている。

モディリアーニの《横たわる裸婦》
豊かな乳房。しなやかにのけぞる裸体。
薄くひらかれた小さな唇には白い歯がのぞき、瞳は翳りを帯び潤んで
いるかのよう。頬は恥じらいに赤く染まり、両腕は腋窩も露わに伸びを
するように、上に大胆に伸ばされている。

しかし、見れば見るほどエロティックな絵で、私はモディリアーニ
の裸体画ではこの作品が一番好きかな。

マティス《ノノ・ルバスク》
ふくよかな顔に一文字の眉。切れ長の大きな目にプリプリした
真っ赤な唇。髪にはオレンジのリボンを結び、少女は緊張した面持ちで
ヒタとこちらを見つめている。

全体の輪郭はハッキリした黒い線でグイグイと縁取られ、意志の
強そうな顔を形作っている。

《窓辺の少女》
いつものマティスとは趣きの異なる、水彩画のような雰囲気の、
静かで落ちついた絵。
《金魚鉢》
全体に薄塗りで、あっさりしてて、自然で可愛らしい作品。
その他官能的なオダリスクが2点余り展示されていました。

今回はボナールの作品が多かったですね。
ボナールの絵には明るい陽光や、何気無い日常のありふれた情景を
描いた作品が多いのですが、今回はなごやかな食卓の風景を描いた
《子供たちの食事》が印象に残りました。

しかし、他の絵に見るボナールの黄色はフェルメールの黄色とは違い、
燃えるが如く、生命の息吹が感じられる黄色ですよね。

スーチンの絵も何点かありましたが、彼の絵から受ける印象というのが
何処か暗い陰鬱なもので、気の弱い私には正視できないナニカが
あるんですよね。

グロテスクに成りかねない危ういところでバランスを保っているが、
それにしても、果てしない暗さというか…それと彼の好んで使う
毒々しい赤。何か空恐ろしいモノを感じてしまう。

今回はエイとりんごを描いた《エイ》という作品と《カーニュの眺め》
という風景画が展示されていましたが、これも傾き、よじれ、歪んだ
ような構図でしたが、青い空と白壁の家のせいか、珍しく明るい絵
になっていました。

パスキンの絵は淡い琥珀の海にぼーっと浮かび上がるような人物が
特徴的でした。
《子猫を抱く少女》の少女に抱かれている子猫は、ひ弱な可愛らしさ
をみせつけ、少女好き、猫好きの私にはたまらない作品でした。

ピカソの《アルルカン》
白い大きな衿のついた市松模様の舞台衣装をつけたアルルカン。
不自然なまでに白いその顔。その白く繊細な面立ちからは想像できない
がっしりとした手。

テーブルの上に頬杖をつき、憂愁の表情で視線は一点に釘付けされて
いるかのようだが、実は何も見ていない。

しかし、ピエロのこのポーズは実に日本的というか、白塗りといい、
市松模様といい、かつらを外した女形の典型的なポーズに見えなくもない。

私はピカソの絵はあまり好きじゃないのですが
《テーブルで読書をする少女》と《テーブルでうたた寝をする少女》は
とても可愛らしい絵で気にいりました。

それと青の時代の《盲人の食事》がありましたが、寂しく暗い絵が
苦手な私は、作品の青の濃淡を確かめる程度でさっさと素通り。

それから初めて名前を聞く、フランシス・ピカビアの下から女の上半身
を見上げたダイナミックな構図の《リュシー・デスノス》

タマラ・ド・レンピッカの《腕組みをする女》
真っ青なスカイブルーを背景に、シャープで立体的な白いドレスの女
は爽やかで目を引く作品でした。

by rampling | 2004-07-16 07:03 | 美術

バルビゾンの巨匠たち展

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今回のミレーは肖像画も数点あり、リトグラフ、エッチングなども
数多く展示されていました。

「種をまく人」のリトグラフ、「落ち穂拾い」のエッチングなんかも
展示されていましたね。

ミレーで今回印象に残ったのは油彩の「井戸から戻る女」と
パステルと黒コンテで描かれた「仕事に出かける人」

「井戸から戻る女」は女のがっしりとした骨格と前掛けのブルーに
目が惹きつけられました。

私の絵を見る楽しみの一つに色の味わいがあるんですね。
同じ画家の作品の中でくり返し使われているこだわりの色というか、
それらをじっくり味わい検索するのがまた楽しいの。

フェルメールなら黄色で、ミレーならブルーというように。
似たような色なのだが微妙に変化させている。

ミレーの絵には緑がかったブルーが多いのですが今回の
「井戸から戻る女」の紫がかったブルーも鮮やかでとても綺麗でした。

「仕事に出かける人」は単純な構図と淡い色調で、素朴で爽やかな
魅力のある絵でした。これはエッチングもありました。

それとコローですが、彼の繊細でリリックな画風はとてもロマンチック
で女の人はこういう絵に惹きつけられますよね。

真珠色の空、霞むような樹木の繁り、その傍らには清潔で可憐な
乙女達。描く対象に対してコローの透明で静かな愛情のこもった
眼差しが感じられる。

落着きと気品があり、そして、なによりも静寂が感じられる。
(ウチのコロとは大違い)(^^)

安らぎはあるが、静かすぎて私にはちょっと物足りない感じがする。

そういえば、むかーし、むかーし20代の始めの頃は絵に心ひかれ、
画集なんかもいろいろ買い揃えましたが、それらの中にほるぷ出版の
「世界の名画」12巻がありました。

その中にコローの「シャトルの大聖堂」とモナ・リザを意識して描いたと
言われている「真珠の女」がありました。
でもなぜかこれには風景画がはいっていなかった。

風景画といえば、日本ではターナーが有名ですが、私はコンスタブルが
好きでした。コローもコンスタブルの系譜ですよね。

コローと比べ、コンスタブルにはもうちょっと熱い想いが投影されて
いるの、きゅうっと込み上げてくる懐かしさというのかな。

彼には故郷の風景を描いた牧歌的な絵が多いのですが…くねくねした
田舎道や、はるか向こうにつづいている一本道、さらさらと流れいく小川、
そしてその小川で水を飲んでいる少年。川の向こうには橋がかかり、
その横にはや馬や牛がいて、傍らには欝蒼と生茂る樹木が林立している。

あの頃は牧歌的な絵や詩が好きでした。
コンスタブルの絵の中や、ジャムの詩の中に、私自身ののんきな昔を
懐かしく見ていたのでしょうか。

ジャムの詩をちょっと紹介したくなりました。

「その頃」

その頃わたしは気軽だった。
村のお寺は静かに日に輝らされていた、
葡萄棚の下の薔薇の花の咲いている庭、

家鴨と白鳥と立話をしている田舎道
しょくえんのように真っ白な綺麗な白鳥だった

村には青葉のかぶさった
日の照る時にも薄暗く
何処まで行っても果てしのない一本道がある。

この道の上で、静かな日曜日の午後には
村の人達は今でも接吻を交わすことであろう、
かたい接吻や、やわらかい接吻や、長い接吻や。

わたしはこんな風に色々なことを思い出す。
そうすると惚れた女と別れたことの悲しさが胸に湧き上がる。
その頃のわたしには五月が今とは別なものに見えた、
その筈さ、わたしの心は休みなく恋する為にできていたんだもの。

壁の裾に当たる白いお日さまの光のように、
生一本な恋をするためにわたしは生まれて来たような気がする。

さて、話しは戻りまして、他に印象に残った絵は、
クールベの「眠る糸紡ぎの女の習作」のダイナミックな顔の描写。

ブルトンの「雑草」のこちらを睨みつけるように立っている女は
映画「風と共に去りぬ」で焼け跡に佇むスカーレットが、やがて顔に
決意をにじませ、スクっと立ち上がる様を思い起こさせるような迫力
のある顔でとても魅力的でした。

同じくブルトンの「夕暮れの呼び声」これはなぜか映画
「カルメン故郷に帰る」を連想してしまった。

トゥルイユベール「魚を釣る二人の少年」はトムソーヤとハックル
ベリフィンを連想させる。自然の中で遊ぶ少年を見るとすぐトムと
ハックが思い浮かぶの。

その他リシェの「洗濯女たち」とレルミットの「刈り入れ人」も
印象に残りました。


by rampling | 2004-07-08 07:06 | 美術

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昨日は東京都美術館の「栄光のオランダ・フランドル絵画展」へ行ってきたのだが、朝からロマンスカーの予約で大失敗をやらかしてしまった。

ロマンスカーの予約センターに電話して、音声ガイダンスに従って予約したのだが、なにを血迷ったのか、わたしは5月30日で予約してしまったらしい。

そんなこととはつゆ知らず、駅に着くなり「トイレへ行ってくるからお父さん予約番号を言って特急券をもらっておいてくれる」と主人に頼みトイレへ向かい戻ってみると、まだ主人が戻っていない。

あら、随分遅いことと待っていると、やっと主人がやって来た。それもプンプン怒っている。

「まったくオマエは5月30日に予約してどうするんだ、行くのは今日だろうが!キャンセルして今日に替えてもらったんだぞ。たまたま空席があったからいいものを」と叱られてしまった。

連休は5月と思い込んでいたので5月と言ってしまったのか。わたしにもようわからん。

「ゴメン。ゴメン。」と謝って許してもらいホームへ行くと、ホ-ムレスのようなオジさんが一人で「バカヤロー!バカヤロー!」と叫んでいた。何かアタマにくることがあったのだろうか。

まったく朝から変な日だった。

「栄光のオランダ・フランドル絵画展」は展示作品が58点と少なかったので、あらもうお終い?てな感じで少々もの足りなかった。

印象に残ったのは、入ってすぐに展示されていたヤン・バプティスト・サイフェ(父)の《野菜市場(7月と8月の寓意)》

ルーベンス《イザベッラ・デステの肖像(ティツィアーノの模写)》

ヘラルト・ダウ《花に水をやる窓辺の老女》

ヘラルト・テル・ボルフ《林檎の皮をむく女性》

そしてお目当てのフェルメール《画家のアトリエ》

しかしフェルメールはこの作品一点だけだったのでガックリ。

その他コンスタブルの構図とよく似た数点の風景画。

美術館を出て、まだ時間があるので上野東照宮のぼたん苑へ寄り、様々な種類のぼたんを見た。出口にはぼたんが販売されていた。 黄色のぼたんがあり、珍しいから買って帰りたいと主人が言う。お持ち帰りなら半額の5千円でいいと言う。

重いから止しなさいと言うのに、どうしても欲しいと言うので買い、それを抱え、
いつものクリームあんみつを食べ帰宅する。

写真はヤン・バプティスト・サイフェ(父)の《野菜市場(7月と8月の寓意)》
by rampling | 2004-05-01 11:29 | 美術