血色も良く光ってツヤツヤしていた顔が、今回はツヤツヤは失せて瞼が落ちくぼみ、ツバの溜まった口に休むことなく舌を左右にペロペロ動かし、前回はわたしの顔を認めるとにっと笑いかけたが、今回は無表情だった。
耳元で「チコちゃんよ、分かる」と言うと、頷くが表情は変わらない。
果たしてわたしのことが分かっているのか、どうなのか。
わたしの一方的な声かけにただ頷くだけでは会話も続かず、しばらく耳元で母の好きな歌を歌ってあげたりしていたが、じっと目を開けていると疲れるだろうから眠っていいよと言うとすぐ目をつむり眠りにつく。前回はそう言ってもパッチリ目を開けて口元に笑みを浮かべてわたしの顔をじーっと見つめていたのに。
時々目を開けタンが詰まるのか喉をゲホゲホさせる。心配で看護士さんを呼びタンを取ってもらう。
タンを取ってもらう時に苦しいのか顔を真っ赤に歪ませ、額にシワを寄せ激しく咳き込む姿を見ると、タンを取りやすくする為に喉の切開手術をしたのにこれじゃ同じではないか、同じ苦しみを味わうならば手術なんかしなければ良かった。
そうすれば、声を失うこともなかったのに。
果たして医者の言うことをハイハイと聞き入れて良かったのかと考えた。
眠っている母を見ると寝かせられたままの同じ姿勢で横たわり、声も出せず、顔を動かすことも寝返りも自分では出来ず、喉の器具を外されないように手にはミトンみたいなものを嵌められている。
何処か痒くとも痛くともどうかしてもらいたくとも声が出ずば、訴えることも出来ぬだろう。声さえ出せれば意志の疎通ができるのに。声というのは本当に大切なモノだったのだということがつくづく思い知らされた。
眠っている母を起こさずにそっと病室を後にする。