さあ、正月休みも今日でオシマイね。

また明日からは家事をきっちりこなし、その後は趣味にいそしむ平々凡々可もなし不可もなしの一見退屈そうだが、実際はそれ以上しあわせなことはない価値のある毎日を大切に過ごしていきましょう。

昨夜のオペラコンサートは好かったわね。
今回は特に楽しみました。
力のこもったアリアの連続で、どれを聴いても引き込まれ、うっとり聴き惚れてしまったわ。

最後の藤村実穂子さんの“ジャンヌ・ダルク”から“森よ、さようなら”は特にジーンときてしまったわね。

これを聴いていて、いずれわたしも年老いこの世を去る日がくるだろう。
この世にお別れしていく時はわたしも周りの自然にこういう思いを抱き別れを自分に言聞かせ静かに納得して去っていくのだろうと。
なんかね聴いていて涙がこぼれてしまったわ。
正直に申せば、こういう寂しさはいつも胸の中にあるわね。

「恋の百人一首」の第2夜で権中納言敦忠の「あひみてののちの心にくらぶればむかしはものを思はざりけり」を取り上げて山口仲美先生は言葉通りの素直な解釈をしておられたが、田辺聖子さんは「文車日記」の中でこの歌は「複雑な皮肉のひびきを感じる」と書いてあるのよね。
このことはむかし、日記に書いた覚えがあるんだけど、また書いちゃうわね。

わたしも聖子さんの説に賛成で、仲美先生の「あなたとの逢瀬で愛を交わした後のせつないきもちに比べれば、逢う前はなにも物思いしていなかったことだ、ヨヨヨ」と恋心がつのるという素直で前向きな解釈は、そうかなあとちょっと疑ってしまうのよね。
大体の男はどんなに恋しく夢見た相手だろうが、契りを交わした後はクルっと背中を向け「ま、こんなもんか」との感想じゃないの。(^.^)

聖子さんはこう書いています。
「あの女を望んで得られず、あんなに烈しく目もくらむ思いで、渇くがごとく欲していたとき、その気持ちは、今思えば、じつに浅はかで単純なものだった。あの女を得たいというだけでいっぱいだった。

しかしいま、その欲望は燃えつき、充たされ、鎮められてしまった。たちまちの心がわり、とまではいわぬけれど、冷たい、水のような醒めた思いが、男の胸をみたしはじめています。
男は恋が生まれ恋が死ぬときの大きな動揺を感じています。

この男にとって、女は思いのほか物足りぬ人だったのかもしれませんし、また、いったん躰を交わしたあとは、心ざまが急速に浅くなってゆく、男の性のせいかもしれません。
女のほうは昔より恋心が募り、男の方は反対の意味で「むかしは単純だった」と思うと。
まあ、どちらの解釈でもわたしは構いませんが。
もちろん、わたしは聖子派です。

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by rampling | 2015-01-04 15:32 | テレビ番組

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